研究と情報—回顧と展望—

摘要

自然科学者にとっで情報は，試験管と並ぶ研究のツールの一つである。 多くの研究者が研究という仕事に始めて接するのは卒業論文に関してであろう。 指導頂く先生の研究室に配属されテーマが内定すると大学図書館の入庫許可証をもらって文献調査から開始することは現在でもかわりがない。 しかし私が体験した終戦後間もない頃の事情は今日と全く異なっていた。 それは，日米開戦により外国の学術雑誌の購読は1941年前半以降のバックナンバーが全く途絶えて，終戦後も数年におよhで調査不可能であった。その中でも繊維工業用の界面活性剤をテーマにした私は，中立国スイスから1941年に出版されたL.Dieserens：Die neuesten Fortschritte in der Anwendung der Farbstoffeがファクトデータ（文献と対比して具体的事実を示す情報源）として，また特許情報を中心として当時の同盟国ドイツから送られたFriedlander：Fortschritte der Teerfarbenfabrikation und verwandter Industriezweigeの1942年版が当時の最新情報源であったと記憶している。 卒業後，社会に出ても占領下の日本ではしばらくこの事情は一向に好転しなかった。 情報を求め，戦火を免れた図書館をたずねて徘徊した。 暫くしてGHQにより開設された日比谷のCIE図書館で米国の新刊雑誌類が閲覧できるようになった。 そして間もなく渋谷区·初台にあった東京工業試験所（現在の産業技術総合研究所）がいち早く外国雑誌を揃えた。 講和条約締結後の1950年代後半ではP.B.レポートが閲覧できるようになった。 P.B.レポートとは米英技術調査団による旧枢軸国（とくにドイツ）の技術情報の調査報告書で，その頃の日本化学会の「化学と工業」誌を読み返すと，学界からその早期購入を政府に働きかけていた様子がわかる。 当時の日本は戦中·戦後の遅れを取り返すべくしゃにむになっていた時代だった。 その頃，今の赤坂迎賓館は荒れ果てたまま国会図書館の所属になっていて，その片隅の小さな建物の中でマイクロフィルム化されたP.B.レポートを読むことができるようになった。 その内容は玉石混合だが，中にドイツのI.G.Farben社のT.H.K.（Textilehilfsmittel Komitee）の極秘報告には，工業化が成功しなかった事例も赤裸々に述べられていて，界面活性剤の分野では，学術文献にも増して有力な情報源となった。