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【24h】

-漁場環境を考える-沿岸環境改善の歴史とその効果に想う-高い透明度は何を語るか一

机译:-关于渔场环境的思考-关于沿海环境改善的历史及其影响的思考-高透明度意味着什么?

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摘要

戦後すぐ東京の南部で生まれた私だが、昭和20年代 には多摩川、それもかなり下流で泳いだ記憶がある。小 学校の二学期はじめの朝礼では、夏休み中に多摩川で 水難事故に遭われた生徒の名前を悲しく聞くのがほぼ 毎年のことだったが、中学ではそんな記憶はない。い ま考えてみれば、さしもの無鉄砲盛りでさえとても泳 ぐ気にならないほど川の汚れが急激に進んだのだろう。東京湾奥部に注ぐ隅田川の花火が中止になったのは昭 和36 (1961)年だが、たまに連れて行ってもらう浅草 からは、滔々と流れるというのもおかしいが、真っ黒 な濁流を見た強烈な印象が残つている。海についても、すでに干潟の底質が異臭を放ち還元化していた東京湾 で、それでも潮干狩りができたのは昭和30年代半ばま でであり、そこを埋め立てるのにさほどの抵抗もな かったのは、すでに海への期待も喪失するほど沿岸の 汚染、汚濁が急速に進んだからだろう。あるいは、大戦 による国力の衰退を目の当たりにした大人たちにしてみれば、工業の復興と水質汚濁をはかりにかけて、やはり前者を選ばざるをえない生活の状況だったのかもしれな い。おそらくこれが日本中、大都市や工業地帯の河川、沿岸に共通する景色、人々の生活、市民の気持ちだった ろう。そんな時代に比べれば、今は本当に泳げそうな川 が少なくとも見た目にはあちこちに復活し、無粋なコン クリート護岸と遊泳禁止の立て札さえなければ入ってみたい気にさせてくれる。実を言うと、川、海、池を問わず天然の水で泳ぐのも私の趣味の一つである。
机译:战后,我刚出生在东京南部,但我记得1945年代在多摩河下游游泳。在小学二学期初的早会上,几乎每年我都在悲伤地听到暑假期间在玉川川发生水灾的学生的名字,但我不记得在初中时的名字。如果您考虑一下,似乎河上的污垢进展得如此之快,以至于即使是手无寸铁的枪支也不会让您有游泳的感觉。 1961年取消了涌入东京湾内部的S田川的烟火,但奇怪的是,有时被取走的浅草烟火稳定地流入,但我看到了黑色的泥泞流。留下深刻印象。至于海洋,即使在东京湾,潮滩的底部沉积物已经散发出奇怪的气味并减少了气味,直到1950年代中期才有可能进行潮汐搜寻,并且没有太多的抵抗力来填充它。这可能是因为沿海污染和污染发展如此之快,以至于人们对海洋的期望已经丧失。或者,对于见证了由于战争而导致国家权力下降的成年人来说,他们可能别无选择,只能根据工业重建和水污染来选择前者。也许这就是大城市和工业区中的河流,沿海地区常见的风景,人们的生活以及全日本市民的感受。与那些日子相比,现在看来似乎可以游泳的河流至少在外观上已经在这里和那里复活了,这使我想在没有波浪状水泥岸和禁止游泳标志的情况下进入。说实话,在自然水中游泳,无论是河流,大海还是池塘,都是我的爱好之一。

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