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沖縄の建築文化に浸透したピロティ空間とその行方

机译:沖縄の建築文化に浸透したピロティ空間とその行方

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摘要

沖縄県の西海岸の南北をつないでいる国道58号線を那覇から1時間ほど北上していくと沖縄屈指のリゾート地である恩納村にさしかかる。この村は戦前·戦後を通じて半農半漁の静かな田舍町であったが、今ではサンゴ礁の広がる美しい海岸線を観光資源とした高層リゾートホテルが立ち並んでおり、その豊かな自然を求めて多くの観光客でにぎわっている。そうした恩納村のリゾート化のきつかけとなったのは、沖縄本土復帰から間もない1975年に開催された沖縄海洋博とその開催に合わせて開業したホテルムーンビーチの存在がある。沖縄のリゾートホテルの先駆けとして位置付けられており、設計は県内設計事務所「国建」、その担当チームを率いたのは、メタボリズムのメンバーでもある大高正人に師事した国場幸房である。設計当初は、月の浜として県民に親しまれていたビーチを抱き抱えるような細長いL字型の配置計画とそれにともなって創出された400m、3000坪の広大なピロティは建物を浮かせ、西側の浜と東側の駐車場との空間をつなげつつ風景や眺望を損なうことなく浜辺に集う人々の憩いのスペースとなるよう計画されていた。2階から4階は1層ずっセットバックしながら段上に積み重なったツインコリドール型で、建物の両翼には自然の光や緑が象徴的な吹き抜け空間がそれぞれ配置されており、建物内部に居ながら沖縄建築の特徴の一つである光と影のコントラストや曖昧で開放的な空間を感じられるつくりとなっている。

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