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大江宏の初期作品——大串純夫邸、尾崎咢堂邸、自邸、三菱製鋼迎賓館

机译:大江宏志的早期作品-小尾住男夫的房子,尾崎角堂的房子,自己的房子,三菱制钢招待所

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摘要

近年は西武線の武蔵関駅周辺にもずいぶん中高層建物が増えたが、それでも新宿から10キロ圏のわりには、のどかな一戸建住宅がまだ多く残っている。そんななかで1950年代ぐらいの雰囲気を感じさせる木造平屋建住宅がこの大串純夫邸だが、実は建設年代はもつと古く、戦前にまでさかのぼる。北区滝野川から移築した日本家屋の東側に、玄関•取次ぎ·応接間·書斎が増築されたのは1938年頃で、設計した父·宏にとってはちょうど大学卒業の年にあたっている。宏は大学卒業と同時に文部省へ就職し、41年まで3年間務めた後に三菱地所建築部へ転職し、それから5年後の46年に独立したが、その間に数軒の住宅を設計している。その第一号が友人·大串純夫氏のために建てたこの家で、39年には神奈川県逗子に尾崎咢堂邸を、42年には東京世田谷に自邸を設計している。また、この時期に職場で関わった設計として、お年から担当した三菱製鋼迎賓館の図面が明らかになっている。
机译:近年来,西武线武藏关站周围的中高层建筑数量已大大增加,但距新宿仅10公里,仍然有许多田园风格的独立式住宅。在这种情况下,给人一种1950年代氛围的木制单层房屋是小尾住男夫(Sumio Ogushi)的豪宅,但建造时期实际上很旧,可以追溯到战前。大约在1938年,入口,代理处,接待室和书房被添加到了从北区T野川搬迁而来的日本房屋的东侧,而那年正是他的设计父亲广志大学毕业的一年。大学毕业后,广司在教育部工作,工作了三年,直到1942年,然后调任至三菱房地产建设部,五年后,他于1946年成为独立人士,同时设计了几栋房屋。有。第一个是为朋友Sumio Ogushi建造的,他于1939年在神奈川县祖师市设计了Ozaki Kendo住宅,并于1942年在东京世田谷区设计了住宅。另外,作为与当时的工作场所相关的设计,我透露了自今年年初以来负责的三菱钢铁宾馆的图纸。

著录项

  • 来源
    《住宅建築》 |2014年第447期|98-103|共6页
  • 作者

    大江新;

  • 作者单位

    法政大学;

  • 收录信息
  • 原文格式 PDF
  • 正文语种 jpn
  • 中图分类
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