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台湾建築:変化の四半世紀

机译:台湾建筑:四分之一世纪的变化

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摘要

西洋で建築といわれるものが、台湾に導入されたのはやつと19世紀末になってからのことだ。それ以前は、西洋の建築に相当する用語どころか、それに近い概念や制度すら存在しなかった。1895年に台湾が日本の植民地となり、台湾総督府が大々的に近代化を推し進めるようになってようやくこの地に建築がもち込まれた。とはいえ、建築の導入のされ方は台湾と日本とでは異なる。前者の場合、国の発展と近代化が密接に連動していた。建築が一種の生産システムとして積極的に採用された背景には、産業を育成し、産業にたいする官僚の力を強めようとの意図があった。ところが台湾総督府は、建築家の職能を確立せず、建築家を養成するための高等教育機関も設置していない。おおかたの台湾人は、建築を単なる技術手段ととらえ、文化を象徴するものだとは考えなかった。第二次世界大戦後に植民地支配から解放された台湾政府が、中国国民党の一党独裁体制の中で建築家制度を定め、高等専門教育にも乗りだしたものの、建築は相変わらず経済発展を助ける技術手段でしかなく、建築家も所詮技術屋にすぎず、知識人や芸術家として扱われることはなかった。ごく一部の王大閔(ワン·ダーホン、1917~2018年)と陳仁和(チェン•レン八、1922~89年)といった建築家だけは、この憂き目に遭わずに済んだ。台湾では、建築を技術力で評価する風潮が1世紀近く続いた。結果、建築は人間について何も語らなくなり、挙げ句に周囲の土地にも生活にも目を向けなくなった。建築は、コンテクストに溶け込もうともしなければ、使い手の日常生活には実質的にも象徴的にもかかわろうともしなかったのだ。それゆえ、海外の一流建築や流行を真似た建築形態であろうと世間は文句を言うはずもなし、建築家の側にも地域文化の代弁者たる自覚が芽生えることもなければ、独自性を発揮しょうという意欲も起こりようがなかった。
机译:西方所谓的建筑直到19世纪末才引入台湾。在此之前,没有一个概念或机构可以接近该术语,甚至没有对应于西方建筑的术语。 1895年,台湾成为日本的殖民地,在台湾总督府开始大规模推广现代化之后,建筑终于被带入了这一地区。但是,在台湾和日本之间,引入体系结构的方式有所不同。在前一种情况下,国家发展与现代化紧密相连。积极采用建筑学作为一种生产系统的背后意图是促进该行业并增强该行业中官僚的力量。但是,台湾总督府尚未建立建筑师的职业,也未建立高等教育机构来培训建筑师。大多数台湾人将建筑视为一种技术工具,并不认为它是文化的象征。尽管在第二次世界大战后被解除殖民统治的台湾政府在中国国民党的一党专政中建立了建筑师体系并开始接受高等教育,但建筑学仍在为经济发展提供支持。这仅仅是一种手段,建筑师毕竟不过是技术人员,而没有被视为知识分子或艺术家。只有少数建筑师,例如王达民(Wan Da Hong,1917-2018)和陈仁和(Chen Lenha,1922-89),不必为此担心。在台湾,对建筑的技术能力进行评估的趋势已经持续了近一个世纪。结果,建筑不再谈论人类,也不再关注周围的土地和生活。体系结构不是要融入上下文,也不是要切实或象征性地参与其用户的日常生活。因此,如果世界是国外的顶级建筑或模仿时尚的建筑形式,那么世界就不应抱怨,如果建筑师不成为当地文化的代表,它将展现出原创性。没有动力去问。

著录项

  • 来源
    《建築と都市》 |2018年第577期|6-15|共10页
  • 作者

    王俊雄;

  • 作者单位

    実践大学建築学科 台湾現代建築学会;

  • 收录信息
  • 原文格式 PDF
  • 正文语种 eng
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