首页> 外文会议>日本建築学会大会 >植民地期デグの都市再編 1920年代~1930年代のデグにおける市街地の変遷 その1
【24h】

植民地期デグの都市再編 1920年代~1930年代のデグにおける市街地の変遷 その1

机译:德固殖民时期的城市重组德固从1920年代到1930年代的城市转型第1部分

获取原文

摘要

大邱は17世紀以来、外周を城壁で囲hだ城郭都市=邑城として発達してきた。1906年の城壁撤去によってその伝統的な都市空間の形態は大きな変化をみせる。城壁撤去に続いて、大邱駅を中心とする十字道路の開削、城壁の後地を道路化した市內一周道路の敷設が行われ、さらに城壁内の李朝時代の官衙建築を破壊して、大邱府庁、慶北道庁、警察署などの行政機関が建てられた。これらに伴って、城壁内には公共機関、商業施設が次々と建設され、掌握する日本人の居住地が広がっていく。市街地の中心を日本人が占拠するという都市の変容のあり方は、ソウルを別とすると、他の都市では現れない大邱に特徴的な市街地変化であるといえる。これは、日帝強占期から近代都市へ変化するほかの都市はほとhどが海岸都市であり、港に近い新市街地を作るという展開を示したが、邱は内陸都市であったために、旧市街地を変化させたことに起因する。
机译:自17世纪以来,大邱已发展成为一个城墙包围的城市,即Haemieupseong。 1906年拆除城墙,改变了传统城市空间的形式。拆除城墙后,开挖了以大邱站为中心的十字路口,铺设了庆尚北道周围的道路,将其改建为城墙后方的道路,城墙内的李朝时期的政府建筑物被毁。设立了大邱县厅,庆尚北道厅,派出所等机构。伴随着这些,公共机构和商业设施将在城墙之间相继建造,并且将控制的日本人的居住区扩大。日本人占据城市中心的城市转型可以说是大邱的典型城市变化,除了首尔以外,其他城市都没有出现。这表明,从日本殖民统治转变为现代城市的其他大多数城市都是沿海城市,并在港口附近创建了一个新的城市区域,但这是因为邱是一个内陆城市,这是由于旧城市的变化所致。

著录项

相似文献

  • 外文文献
  • 中文文献
  • 专利
获取原文

客服邮箱:kefu@zhangqiaokeyan.com

京公网安备:11010802029741号 ICP备案号:京ICP备15016152号-6 六维联合信息科技 (北京) 有限公司©版权所有
  • 客服微信

  • 服务号